※定期券
帰宅中、下を向いて歩いていると
定期券が落ちていた。
すぐに拾い上げ、傷付いていないか確かめる。
幸いどこも傷んでいなく、まっさらな券には近くの駅と、ここから程遠い駅の名前が刻み込まれていた。
さてこれをどうしようかと考えていると、
「すみません、それ、私のです」
といかにも仕事帰りと思わせるような格好の女性が話し掛けてきた。
あぁそうですか。と定期券を渡すと、女性は
「ありがとうございます」
と言い、軽く会釈をして、多すぎる人混みに紛れていった。
後ろ姿を眺めながら、良い事をした後になんとなく漂う心地よさと気恥ずかしさにうずうずしつつ自分もまた近くの駅に向かっていった。
で、ここからが不思議なんだが
駅に着いた時、
電車に乗った時、
乗り換えのため降りた時、
そこから違う電車に乗り込んだ時、
降りた時、
駅から出た道程、
途中で立ち寄るコンビニと、
行く場所訪れる場所に定期券を落とした女性が必ずいた。
向こうも向こうでこちらを気にしているようで、時折振り返っては
「うわぁまたいる」
とでも言っているかのような顔をし、さっと前を向く。その度に少し長めの髪と鞄に付けられたキーホルダーが揺れて、早く何処かへ行ってくれと言っているように見えた。
ついにバス停までも同じでうんざりしていると、女性がこちらをきっ、と見て
「新手のストーカーですか?」
と言った。…それはないだろ、偶然帰り道が同じなだけだろう。と返すと丁度バスが来てくれ、話が自然に切れることとなった。
しかし恐ろしいもので降りる場所も同じだった。
「もうなんなんです?!」
女性が言う。それはこっちの台詞だよ。そう呟けば
「ここからの帰り道も同じだったら流石に笑えないわ…」
と独り言のように返した。
まぁ、予想通り、帰り道も同じだった。
なんだか奇跡を通り越して笑えてきたので一人笑いを堪えていると、女性の方はそうではないみたいで
「あなたの住所は?」
と赤い顔をして聞いてきた。
どうせなら同時に言わないかと笑いつつ提案すると意外にもそれに乗ってくれた。
女性の合図で同時に言う。
「「東京都山内区上尾町12-8コーポ杉並」」
なんと愛すべき家まで同じとは。部屋番号までは考慮してかお互い言わなかったが、もしかするとお隣さんかもしれない。
どうしても堪えきれず笑い出してしまったが、女性の方は呆れて物が言えない状態のようだった。
その後、二人でいつも通りの帰り道を通り、コーポ杉並に着いた。
二人で同じようにロビーの郵便受けを調べ、エレベーターに乗る。
しかし、降りる階は違った。
女性が先に降りる手前、さっと振り返り
「あの、なんだかすみませんでした」
と謝った。ちょっと笑いつつ、謝ることはない、自分もとても驚いたからと返すと、
「あはは、ありがとうございます」
と女性は言って、はにかんだ。そして最後に
「私は205室の、稲葉 朝見といいます。また会った時は、よろしくお願いしますね」
と言った。
思わず笑ってしまった。
首を傾げる女性に言う。
「俺は305室の浅見 彰。こちらこそ頼む」
こればかりかは、朝見さんも笑った。