※動力

 

 

「ええと…」

 

状況を整理するため、

相談役は目を閉じる。

 

「…私には無糖…。

そういう事、ですか?」

 

そう言い目を開け、

私に疑問を投げ掛ける。

相談役の手の中、

夕日で色を変えている

飲み物は水だった。

 

あぁ無糖だ、と私は答えた。

お前には珈琲で無糖か

微糖かで悩む権利は無く

水が最も相応しい。

とも言った。

しばらくは呆気に

とられていた相談役だが、

すぐに吹き出した。

 

「そうですか、水ですか。

相談に乗ってくれて

ありがとうございます教授。

そうですね、私には水の方が

相応しいかもしれませんね。

本当、ありがとうございます」

 

そして、笑った。

あはははと。

 

あぁ合わない。

私は知らない間に呟いた。

 

「私とお前とは

つくづく歯車が合わないな」

 

本当に合いやしない。

 

「素材が違うのだろう。

そうに違いない」

 

ほとんど独り言の

ようなものだった。

 

しかし相談役は

独り言と思わなかったらしく、

 

「あっ、酷いな。

やっぱり教授は

聞いていたんですね、

図書館での相談事を」

 

と呆れたような顔をし、

 

「ならどうして合わないか。

分かります?」

 

と、似合いもしないのに

挑発的な笑みを浮かべながら

私に質問をした。

 

――やはり相談役は、

こいつは、馬鹿だ。

 

どうして合わないか。

そんな問わずとも

分かることを何故聞く?

 

……まさか、

思い出させたいのか?

あの日を、か?

だとしたら目の前にいる

こいつは馬鹿を通り越して

ひとでなしだ。

いや、こいつは元から

ひとでなしではないのか?

あの、図書館の片隅の席で

相談役に見せた

笑っているような無表情。

…生きている人間に

無表情など出来るはずがない。

何処かで必ず――

例えば手の動きだとか

目の動きとかで――

感情は漏れ出すものだ。

 

こいつにはそれがない。

だからこいつは、ひとでなし。

 

…なのか?

あの顔をし始めたのは

いつからだ?

 

……2008年8月下旬から、

そうなってしまった。

 

 

――その月の上旬。

ある生徒二人と教授一人が

いなくなったと大学から

正式な発表があった日。

噂と憶測が飛び交った結果、

何かしらの矛先が

向けられたのは

紛れもなくあいつだった。

日々、激しい非難や

問い詰めがされた。

暴力沙汰もあったらしい。

しかしあいつは

 

「何も知らないです」

「何も聞いてないです」

「何もしていません」

 

の一点張りだった。

泣きもしなかった。

嘆きもしなかった。

逆にそれが

悪化の原因となったが、

それが変わらなかったのも

沈静の原因ともなった。

 

皆、恐ろしくなったのだ。

泣きもせず、嘆きもせず、

何か声をかけられたら

 

「はい、何ですか?」

 

と笑みを浮かべて

本当に何事もなかったように

接してくるあいつが。

そして特に問題も無いように

普通に過ごすあいつが。

 

その結果訪れた、

下旬のあの日。

 

何があったかは言わない。

ただ、これだけは言える。

あの時、私は奇しくも

こいつを否定する側の

人間であり、

そしてあいつの

笑っているような無表情を

酷く間近で見た日だった。

 

 

……駄目だ、堪えているのに

あの日の記憶が競り上がる。

それは胸までつっかえり、

吐き気と目眩を催す。

そうとは気付かずに

あいつはまばたきをして

どうしましたかと

私を心配する。

 

止めてくれ。

そんな顔するな、思い出す。

あの日を思い出す。

こびりついて剥がれない

あの日を思い出す。

これをどの様な表現を

したら的確なのか?

horror.

detest.

emotional.

おそらくこれらだろう。

 

……何故それほどまで?

 

そんなのは

思い返すまでもない。

こいつの顔を見れば

自ずと、何度も、答えが。

 

独り記憶と闘う私を

知ってか知らずか

あいつは言葉を繋げる。

 

「分からないみたいなので

答え、いいますね。

……実はですね、

そんな例え話に

当てはめるのが

悪いんですよ。

合う、合わないなんて

知ったこっちゃないです」

 

……は?

 

「例え話は相談と理解を

深めるために必要なもの。

私達にはそんなもの、

要らないと思いますよ?」

 

……答えを必死に考え

追い詰められた

私の心境を考えろこの阿呆が。

 

「そんな戯けた解答…」

 

『あなたは私よりも

ひとでなしだから

歯車が合わないんです』と、

笑っているような無表情で

言われるのを

予想していたというのに。

 

あの無表情を、

人に見せるきっかけとなった

私を糾弾するような言葉を、

責めるような非道な言葉を、

私はただただ

求めていたというのに。

 

「戯けた解答でいいです。

それとも、

例え話ににそった

解答が欲しいんです?」

 

ああ欲しい。

私は速答する。

期待する答えを待ち望む。

 

だがそいつは、

 

「合わないじゃなく、

性質が違うんです。

私は歯車で、

教授は歯車以外の

何かしらの動力。

……私は意外と教授に

助けられてるって事ですよ」

 

と答え、屈託のない

笑みを見せた。

 

あああ最悪の解答だ。

いつもお前はそうだ。

優しいんだ、馬鹿に優しい。

 

お前に古傷を残したのに

やけに酷く優しい。

苦しめようという

それでない優しさ。

それはどこかで聞いた

名文を思い出す。

『罪は許される事により

始めて癒える』……。

そんな馬鹿な事。

と聞いた時には思った。

許される事など

ありはしないと。

 

だがお前は、

私を許しているのか?

 

聞くことも出来ない

質問は風に流れて消えていく。

だが質問しなくても

答えは目の前にあった。

 

ただ笑っている、目前の人。

 

その答えが気に食わない

私は何をすれば

いいのだろうか。

何をすればいいのだろうか。

 

取り敢えず

決めたことはあった。

 

「馬鹿な事を言うな

この未熟者」

 

少なくとも、

こいつの動力に

なってやろうと。

 

それが私の、

せめてもの罪滅ぼしだ。